コミュニケーション力が足りない?

そういえば就職のとき、一番大事なのはコミュニケーション力って就職ガイダンスのときさんざん言われたっけ。「コミュニケーションのできる人うまい人を求めてます」という感じで使われたのが一番多かった。でも、いったん考えてみればコミュニケーション力ってのは典型的なバズワード(使う人によって定義が違うあいまいな単語)だったりする。

例えば、自分がほとんど何も言わなくても以心伝心のごとく自分の言おうとすることを、相手が分かってくれることを期待しようとする。ここで相手がぜんぜん分かってくれなければ、この人は「コミュニケーション力が無い」となってしまうんだろうか。もし、相手にあまり情報を与えずに、事情をわかってほしいという人が増えたならば大変なことになる。そもそも非言語のコミュニケーションによって伝えられる情報量は少ない。情報というものは言語によって伝えられる部分が大半を占める。そこで立場の上の人がこのような以心伝心タイプの人間だったらどうなるか。もう周りがイエスマンだらけという結果になってしまうんじゃないだろうかと思う。

今の労働環境は、まさに団塊の世代団塊Jr.の世代の間がすっぽりと抜け落ちているという非常にいびつな年齢ピラミッドになっている。ふつう、労働者人口で年齢ピラミッドを作ったら長方形に近い形になるはずである。ということは、年齢のかなり違う、世代間のコミュニケーション能力が求められるということになる。50代の管理職の人間の言うことを20代の平社員が理解するということは、けっこう難しい。教育のカリキュラム、人生のものの考え方や経験など何から何まで違う人間とコミュニケーションは難しい。

ようするにコミュニケーション力が足りないというのは結局のところ、上の管理職の人たちや人事の人たちが下の世代とうまく上手にコミュニケーションができないために使われだした言葉なような気がする。そして、その言葉が独り歩きしてしまって、就職のとき盛んに用いられる言葉になったのじゃないかなあと思う。