どうして技術が直接お金になると考えてしまうんだろう

「次のビル・ゲイツを」IPAがソフトウェア分野の天才12人を認定
のようなものを見ると、いまだに「次のビルゲイツを見つけよう」なんてことになっている。こんな試みなんてのはもう十年来やってきているはずなんだが、いまだに”次のビルゲイツ”なるものは見つかってない。というか、そもそも日本には存在しているのかしていないのか分からないし、もし幸運なことにいたとしても、育つ環境がなかったりする。日本は個人で戦う欧米と違ってチームプレーの文化だから、突出した才能とかあまり要らないというのは誰かが何度となく指摘してきていること。それをいまだに繰り返している日本の経済産業省(旧通産省の時代から)は愚かしいとしかいいようがない。

もし、優れたソフトウェアがあったとしても、それを設計するのは誰か。そして、設計したものをコーディングしたりするのは誰か。また、うまくコーディングできないところがあれば、その不具合をうまく上手に繕ったりするのは誰か。そして、販売ルートにうまく乗せなければならない。このいずれもが上手に機能すれば”良いソフトウェア”となって、日の目を見る。しかし、そのどれもが途中半端な現実となってしまっている。上手にコーディングできる人間だけではぜんぜんダメなのだ。うまいアイディアとコーディングできる人たちだけを表彰したりしても、賞金としてはした金を手にして、結局使い道はというとアブク銭化してしまい、結局はうまくいかない。

表彰するのが対個人ではなくて、対チームというようにするだけでもちょっと違ってくるはずなのだが、今のところそういう発想はどこにもないのかなあなんて思ってしまう。まあ、うまくチームが作れるようにできた人たちは経済通産省なんか勝手に無視して株式会社を立ち上げたりして、ベンチャーとして最先端のところを行ってしまっているのだろう。あと、日本はベンチャーをもっと保護しようとする機運も少ない。これは大企業優遇の副作用なのだろう。もうちょっとどうにかしてバランスをうまく取らねば、日本のソフトウェア産業は危うい。そもそも偽装派遣なんか放置するから会社のチームとしての活動もおざなりになってしまうのだろうけれども。