今日はレポートの提出

今日は知覚システム論のレポートの提出だと思って張り切っていたら、講演会のような授業形態で(徹夜明けなので)また寝る羽目になるのかなあとか思っていたら、外部関係者の人が話してくださり、そこそこおもしろい内容の授業でした。というのも、「知る」とは何かというのを徹底的に詳しく調べたものを聞くことができたからです。ふつう情報というのは多いところから少ないところに流れるものだ(シャノンの情報理論)と思うのですが、そういうのを無条件に支持してしまうと「まかない制度」とか「師は黙して語らず」というのは説明がつかなくなってしまいます。

まかない制度というのは住み込みで弟子入りして技術を伝授してもらうということですが、今となっては古いような形態のように一見するとそういうふうに見えてしまいます。でも、今でも日本の古き良き伝統芸能のようなものはまだまだ住み込みで技術を伝授しています。こういうのに意味があるのか?というと、意味があったのです。というのも、技術を伝授するには「ここをちょっと斜めにして」とか「ゆっくりまわして」とかいう形容詞を多用します。こういうあやふやな形容詞では自分と相手とを一致させる必要があります。そのために住み込みというのが有用なわけです。(それに対して今の現代科学の方法論ではあやふやな原因となりうるような形容詞はなるべく排除する方向になってます。)

あとは、師は黙して語らずということわざがあります。物見由山のようなお客さんには懇切丁寧に指導するけれども、大切な自分の弟子にはあんまり手取り足取り教えないというものがあります。これは「気づきの知」というものを有効に活用させるためだそうです。ある技術を教えるのに、弟子は失敗します。その失敗の原因を失敗しないようにあらかじめ教えておくのと、弟子がいったん失敗してからその原因を教えるのとではあたまのしみこみ具合が違ってきます。だから師匠はあんまり親切丁寧ではいけないのだそうです。