うちの学校について

うちの学校のウェブページ上に公開されているPDFのなかに、先生がたの業績の報告書があった。この報告書は自分が何をし、そしてどの科目を担当し、何人受講のところを何人の学生に単位を与えたかなどが書かれている。うちの学校の先生の中でとても興味深いことを書いている先生がいたのでここに引用しておく。

総合業績調査
http://www.fun.ac.jp/information/assess/ac2004takamura.pdf

本学入学者の状況を考慮すると、講義1コースで20人近い不合格者は不可避と考えざるを得ない。平成15年度後期は就任直後のため1科目2コースで2科目担当したが、不合格者が各科目50人近くになり、平成16年度後期の授業運営に支障をきたす事態になった。そこで週末に特別補講をほぼ毎週開催し、再履修者は特別な事情がない限り正規の授業への出席を許可しないようにした。ここに表には出ない大きな教育負担があり、本来あるべき研究時間を圧迫している。これは主に学生の大学での学習態度が、高校のときから変化していないことに起因している。つまりわずかな時間を費やしただけの暗記で克服できる内容や、論理的な思考を排除した操作主義的な教授方法に感覚が麻痺したままなのが諸悪の根源である。学生には初年度の初めからその辺りの意識改革を促すことが大学全体として必要である。4年間掛けてパソコンをいじって終わりのお遊び大学にならないためにも、まずは卒業研究発表会を見ても歴然としてしまっている各教員間の「温度差」をなくすることを教務委員として働きかけたい。また4年制大学では語学学習は週2コマが英語、残り1コマが第2外国語というのが標準であった。本学設立時に語学学習に関し、いかなる位置付けが文部科学省に説明されたか不明であるが、現在は科目教育に専念すべき教員の大きな負担であるVEPにしわ寄せが来ていると言わざるを得ない状況である。これに関しても英語教育の責任の所在とVEPの位置付けを教務委員として再構築したいと考えている。

(筆者注:VEPとはバーチャルイングリッシュプログラムの略で、第二外国語をするかわりに、各科目に英語の授業を分散させて専門科目の英語を学ぶものである。私が一年生の時は一つの科目に5時間が目安であったが、二年生になってからは一つの科目に10時間かけなければいけなくなった)

大学生で論理的な思考ができないのは大変なことなのだ

ここで本学入学者の状況を考慮するとというのは学力低下問題のことだと思う。ゆとり教育に限らず大学は全入時代に突入して、誰でも望めば学力検査に引っかからずに大学に入ることができるというような時代である。そんななか、うちの学校も例外ではない。うちの学生の学力は年々低下しつつあるのが教員間での問題となっている。

そもそも、大学で取得する単位はゆうに100を越える。うちの大学のぼくの学年の場合、124単位取得が卒業要件となっている。たいていの科目は2単位なので、授業は60ぐらい取らなければいけない。科目の中には取得が楽な科目ももちろんあるが、学年が上がるにつれてどんどん取得が難しくなっていく。かといって難易度だけやたらむやみに難しいのではなくて、論理的に考えることができるかどうかのほうが重要である。大学は科学を学ぶ場であるので、論理的な思考が求められる。ここで問題なのは、大学に入ってくる高校生たちは論理的な思考訓練ができないことにある。論理とは簡単に言うと「AだからBである」というものの連鎖である。その論理的な思考を訓練するのが大学というものである。

もし、論理的な思考ができないとすると、考えること行動することすべて経験則とかカンやら本能などになってしまう。もし、目の前に不思議な現象が起きたとしても、それがどうしてできたのか理解できないし、再現することもできなくなってしまう。例えば、空に虹が架かっていたとする。論理的に考えれば虹は太陽光による可視光の波長の長短が空気中の水滴の散乱によって、赤色側と紫色側が分かれることによる。もし、虹の原因が水滴によるものだと確かめるならば、天気のよい日に太陽を背にして水しぶきを作れば虹ができるので確かめられる。しかし、思考が論理的にできないとすると、虹がどうしてできたのか分からないし、再現することもできない。科学は論理からなっているので、大学生が論理的な思考ができないのはゆゆしきことである。